7月29日 クレムリン



言わずと知れたクレムリン宮殿。
興味はないけど、
日本の国会議事堂よりかは威厳があります。

モスクワの滞在先はクレムリン宮殿から目と鼻の先にある、ツアーホテルだ。サンクト.ペテルブルグのホテルよりずっと良い。なにせちゃん と年代物だがクーラーがあるんだから、、お風呂の栓はなかったけど..角部屋なのでとても広く、ハワイのヒルトンに比べても広さだけなら 勝ってるぞ。しかし、そんな快適さに喜べない状態に私はあった。足の裏の豆やら水膨れが悪化したのだ。無理矢理水を抜いたが、症状は良く ならない。ロシアの街は、いざ歩いてみると、インフラが崩壊しているためか、石畳はボコボコ、地盤沈下かなんかは知らないが、かなり地面 がうねっているのだ。よって、足に掛かる負担も大きく、しかもドクトルは結構、早歩きなのだ。 「待って下さいよ〜」 「けど、トロトロ、タラタラ歩くのは危険なんですよ、この国では。気を緩めてると思われちゃって、路上強盗の格好の標的になっちゃいます よ。」 渡航歴の長い齋木氏の意見には従った方がいいだろう。因みにこの足の状態が完治したのは、帰国して一月たった頃である。

シャワーを浴びて、気分一新の我々は取り合えず、近所のクレムリン宮殿とその前に広がる赤の広場に向かうことにした。ソ連健在の頃にはこ こで一大軍事パレードが行われていたものだ。今では、デモ防止用に張られた柵が広がる味気ない空間だ。我々は宮殿内の宝物なんかに興味は無 いので、レーニン廟でも行こうかと言うことになる。しかし、カメラ持ち込み禁止と言うことで、警備の人間にあちらで預けろと言われたがち ょっと心配なので、レーニンさんを拝みに行くのは諦めた。遺体を生まれ故郷に移すとかどうとかを最近のニュースでもやってはいたが、どう なったんだろう。

我々は次ぎに地下鉄を乗り継いで、中央軍事博物館に向かった。地下鉄と言えばサンクト.ペテルブルグもここモスクワでもムチャクチャ深い ところを走っている。当然エスカレーターで降りるのだが100メートル以上を一気に下っていくのだ。凄く早くて、最初の方は乗るのに尻込 みする。しかも暗い..尻込みする我々をよそに、スカーフを付けた丸い体型の老婆が、ヒョイと飛び乗り、ものすごい勢いで降下していく。 ホーム自体はスターリンが共産主義の優位性を示すために贅を尽くしたせいか、それはそれはご立派な装飾三昧だ。日本人にはピンと来ないけ どね。確かフルシチョフはモスクワ市長時代にこの地下鉄の工事を完成させたことで、政治的に大きな得点を上げたんじゃなかったっけ?

中央軍事博物館



中央軍事博物館。
どうでも良いけど、
もうちょっと交通の便のいい所にしてくれよ。



鉄十字章の山。一個くれ!

駅から結構歩いた所にそれはあった。巨大な核ミサイルとT−34/85が正面玄関で我々を迎えてくれる。屋内展示と屋外展示が半々だが、 戦車など大物は、前部外に置いてあった。館内はロシア軍の戦歴に合わせての展示だったが、ノモンハンか満州かで捕獲した日本陸軍の兵器に 興味が湧いた。私はここで92式重機(3年式かもしれんが、グリップをよく見てなかったんで、わかんない)を初めて見たのだが、想像してた のより、遙かに巨大だった。4人がかりで運ぶそうだが、さもありなんって感じだ。同じく捕虜やら死体から取り上げたのだろう、鉄十字章を山 積みにしている展示もあったが、ここら辺がいかにもロシア的である。

中庭には綺麗に塗装された戦車や航空機が所狭しと並んでいる。ただ綺麗なのはロシア兵器だけで、一角にある捕獲ドイツ兵器の12,8セン チ高射砲などは、ペンキの剥がれや錆が目立っていた。当時、少年キャプテンで「パエワフルチャイナ」を連載中だった私は資料収集のために ミグ19なんかの写真を撮りまくる。機種のインテークにカバーが掛かっているのが残念だが...


各種航空兵器も、盛りだくさん。



いいねぇ、ミグは!



最新兵器もゴロゴロしてます。



本文では12.8cmFLAK40と書いたけど、
よく見ると10.5cmFLAK38/39のような..



これは比較的珍しい、海軍式の37mm双連だ。
けど正式名称は知らない..
例の単発式のとは違うような気がするけど。
誰かご教示下さい。

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KV−2

いや〜、会えた会えた。君に会いたくて足を豆だらけにして、はるばる東洋の片隅からやってきたんだよ。楽しみだったKV−2とのご対面。 足腰弱くて実践にはあまり役に立たなかったようだけど、そんなこと、どうでもいいさ。 し.あ.わ.せ♪


KV-2。
いやぁ〜来た甲斐があったよ。



KVと記念撮影。
胸のDough Boyが浮いてます。



ついつい、Vサインを出してしまうバカ。

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疲れた身体を引きずって、ホテルに帰ってきたのだが、ちょっと不愉快なことが。ロビーに大量の日本人が!100人じゃきかない数だ。しか も、みんな同じTシャツを着用し、どいつもコイツも「人類に平和を」って書いた団扇を持っている。おまけに若者、中年と男女別に分かれて いるようで、これはどうみても宗教団体としか思えない。おいおい、こーいう連中とまだ3日も一緒に暮らすのか?やりきれんなぁ..幸いホ テル内での行動時間が違ってたのと、連中も日中バス連ねてどっかに行っちゃうのとで、面を付き合わすことは滅多になかった。

ホテル内での夕食は齋木氏のお薦めのメキシコ料理店。亡命キューバ人の経営らしい。我々はそれから毎日、白夜で何時までも沈まない夕日を 見ながらビールの入ったグラスを傾けることになる。


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